TCA時代、順位がつけられる企業課題は
すごく頑張った記憶があります。
皆さんのTCA時代の専攻コースを教えてください。
薄井私は、当時あった「映像クリエーターコース」です。
やまざき「カーデザインコース」の2輪専攻ですね。
山中私は「グラフィックデザインコース」でした。
学生生活は、どう過ごされていましたか?
薄井自分が入った「映像クリエーターコース」はまだ設立されたばかりで、9人しか学生がいなかったんです。なので「グラフィックデザインコース」などとの合同授業が多くありました。授業内容も決められたカリキュラム通りではなく、「みんなでどこか行こうぜ!」というノリの課外活動が多かった気がします。プライベートでは、校舎のすぐ近くにあったビリヤード場でよく遊んでましたね。
山中企業課題を頑張った記憶が、すごくあります。企業から出される課題には、順位がつけられたんです。自分は順位がつかないと、燃えないタイプだったので。毎回1位から3位には入ってましたよ(笑)。プレゼンもうまかったですし(笑)。
やまざき僕は、意外と真面目でしたよ(笑)。TCAの「カーデザインコース」は間違いなく業界ナンバーワンなのですが、絵では勝ち目がなかったのでコンセプトやプレゼンを頑張りました。プライベートでは、毎日大好きなバイクばっかりイジってましたね。校舎の裏にアパートを借りて、そこにバイクを2台置いてたんです。アパートには鍵をかけていなかったので、友達のたまり場になってましたが(笑)。
学生時代の、一番うれしかった思い出は?
やまざきホンダに就職が決まった瞬間ですね。ホンダは、学生たちを集めて1週間泊まり込みで就職試験を行うんですが、最初僕はその枠に入れなかったんですよ。そこで先生に無理に頼み込んで、試験に参加だけはさせてもらえることになって、毎日の課題にやりたい放題取り組んだら受かったんです!当時、金髪のオカッパだった僕が(笑)。
薄井就職の思い出で言うと、他のコースの学生たちは企業のインターンシップに続々と参加するんですが、自分はなかなかインターンの受け入れ先が決まらず、長い期間自宅待機が続きました。そして、卒業ギリギリになって大手映像制作会社へのインターンが決まったんです。卒業してからはその会社でアルバイトとして働くようになり、石垣島へ1週間ロケに行って帰ってきたら自分の保険証ができていて、知らないうちに社員になってました。あの保険証、どうやって作ったんだろう(笑)?
山中高校生の頃、親に「大学だけは出ろ」と言われていたのですが、推薦で行ける大学の芸術学部では、油絵から彫刻まで総合的に学ばなければならなかったんですよ。自分は目標から逆算して行動するタイプで、やりたい仕事がグラフィックデザインだったのでそれを専門に学べるTCAに入ったんです。そこで同じデザイナー志望の学生たちと切磋琢磨しながら順位を争った経験は、今振り返ると本当に楽しい思い出ですね。
学生時代に予想していた未来が
そのまま叶うことなんて、絶対にないんです。
学生時代に思い描いていた未来と現在は、ほぼ一致していますか?それとも、当時は今のようになるとはまったく想像していませんでした?
薄井今の姿は、全然想像していませんでした。私はCMプランナーになりたくて映像制作会社に入ったのですが、しばらくするとTVCMの仕事がクリエーティブ業界の花形ではない時代になったんです。そこからデジタルの分野に転身し、今は現実と非現実の間にあるコンテンツを制作しているのですが、そんな姿は当時は想像すらできませんでしたね。
やまざき僕はバイクが好きでホンダに入り、そこからバイクのデザインをずっとやってきたので、ある意味想像通りといえるかもしれません。ただ、学生時代に独立することは考えていなかった。独立してからタミヤの仕事などもするようになり、会長に気に入っていただいて、会うと手を振ってもらえる仲にまでなったのですが…当時はあのタミヤの会長に手を振ってもらえる自分になるとは思ってもいませんでした(笑)。
山中先ほど自分が「目標から逆算して行動するタイプ」と言いましたが、TCAに入った時は某大手広告代理店に就職すると決めていたんです。ところが、その会社に新卒で入ることは難しいということが、入学してから分かってしまった。なので、卒業後に制作プロダクションに入り、中途でその会社に転職することを狙ったのですが、数年後には興味がなくなってしまったんですね。代わりにデジタルのクリエーションに興味を持つようになってそちらの世界に移り、大手代理店ではできない企画とデザインワークをこれまで積み上げてきました。確かに学生時代に思い描いた自分の姿と今の現実は違いますが、時代に合わせて理想の未来へ着々と進んでいる実感はあります。
やまざき結局、学生時代に予想した未来なんて絶対に叶わないんですよね。予想よりすごくなることもあれば、予想に届かないこともある。ただ間違いなく言えるのは、働きだしてからの人との出会いがとても大事だということ。いい出会いがあれば自分の可能性は広がって、目指す夢が変わっていくものだから。
やまざきさんがデザインを手がけたZOOMER
デザイナーからディレクター、
そして現在はプロデューサーへ。
皆さんのキャリア形成について、詳しくお聞かせください。
薄井最初に入った映像制作会社の後に、編集プロダクションへ転職しました。当時その会社が紙媒体から電子媒体に仕事の幅を広げようとしていて、マルチメディア推進の担当として採用されたんです。ところがいざ入ってみると、「マルチメディア推進」という名目と現場の実態はかけ離れていて…。「これは違うな」と見切りをつけて、その頃プライベートで学んでいたWEBデザインやプログラミングのスキルを活かすために、WEBプロダクションへ移ったのが次のステップです。WEBプロダクションは2社経験したのですが、そこではデザイナーではなく、仕事を持ってきてデザインや予算を管理するディレクターとして働きました。それからさらにコミュニケーションプランニング等のノウハウも身につけて、ワントゥーテンのプロデューサーになったんです。
山中小規模なグラフィックデザイン事務所をいくつか経験した後、アマナインタラクティブに入り、デザイナー兼プランナーとして映像やWEB制作も手がけました。その次に移ったのが、大阪を拠点とするAID-DCCです。その頃はデジタルが本当にイキイキした時代になっていて、仕事に大きな予算もついて派手なことがやりやすい環境でしたね。そこでは営業から企画、デザインのクオリティや予算の管理とCDとしての役割も兼ねるようになりました。そして去年独立して、自分の会社を立ちあげたんです。
やまざき僕はホンダに18年いて部署は結構動いたんですが、毎日好きなだけバイクをイジることができたので楽しかったですよ。転機になったのは、25歳の頃に参加した「若者プロジェクト」ですね。そこでは、ヒットしたZOOMERをはじめ色々な企画をまとめて、実績を作ることができました。それから社長が直轄する新たな4輪を構想する部署に入り、「20年後のホンダの4輪はどうあるべきか?」といったテーマを考える仕事に3年間従事したんです。予算がある部署で、ロンドン、パリ、ニューヨークと多くの都市にも行くことができて、クリエーターとしても人間としてもすごく成長できた時期だったと思います。